北九州漫画ミュージアム

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松本零士 初代名誉館長のご逝去について(令和5年2月23日 更新)

~松本零士先生の訃報を受けて~

同郷の大先輩の松本零士さんが亡くなられた。

ボクは「銀河鉄道999」も好きだが、「ザ・コクピット」にはまった。
「どうしてこんなにカッコよく飛行機が描けるのか」とにかく飛行機の描き方が素晴らしかった。ストーリーもコマ構成も素敵だった。
そしてロマンがあった。

当時、ボクはまだ絵を描いていなかった。
1ファンとして夢中に読んだ記憶がある。

昨年、ボクは北九州市漫画ミュージアム名誉館長のバトンを、松本零士さんから受け取った。
松本零士さんは同郷北九州の大大先輩だ。
世界の松本零士さんだが、北九州を漫画で発展させようという先生の意志を引き継いだ。
シンポジウムで先生に何度かお目にかかった。

今となっては、キチンとお話しをすれば良かったと後悔している。
また、北九州市漫画ミュージアムでは、まだまだ先生のお力をお借りしようと思っていたので、訃報に落胆しています。

心よりご冥福をお祈りします。

令和5年2月20日
北九州市漫画ミュージアム 名誉館長 わたせせいぞう


~松本零士 初代名誉館長のご逝去について~

 北九州ゆかりの漫画家、松本零士先生の訃報に接し、当館としても大変驚き、残念に感じております。松本零士先生には、2012年8月の「北九州市漫画ミュージアム」の開館から2021年6月末まで名誉館長を務めていただき、「北九州国際漫画大賞」の審査委員長や各種トークイベントへのご出演のほか、当館の事業全般を見守っていただいておりました。
 また、漫画ミュージアムの開設を計画するにあたっても、2007年より「(仮称)北九州市漫画ミュージアム基本コンセプト検討委員会」の委員長を務めていただくなど、大変なご尽力を賜りました。

 小学校から高校卒業までの多感な時期に小倉で育ち、小倉南高校在学中に漫画家としてデビューされた松本先生は、漫画家としての原点は北九州・小倉にあるとの熱い思い入れをお持ちで、ご出演いただいたトークイベントや、当館からの取材や協議でご自宅へうかがった際などに、北九州・小倉の思い出を熱く語って下さったことが強く印象に残っております。

 ご生前のご厚情、ご尽力に、心から感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。

令和5年2月20日
北九州市漫画ミュージアム 館長 田中時彦

<松本零士先生 略歴>
1938年福岡県久留米市生まれ。1947年から北九州市小倉北区(旧小倉市)砂津に育つ。小倉南高等学校在学中に「蜜蜂の冒険」(『漫画少年』1954年2月号掲載)でデビューし、地元の『毎日小学生新聞 西部版』で活躍した。高校卒業後に上京してからは、当初は少女漫画を、後に少年漫画や青年漫画を手がけ、「男おいどん」のヒットにより漫画家としての地位を確立した。SF漫画家としても世界的に知られ、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など代表作多数。2001年紫綬褒章、2010年旭日小綬章受章。北九州市漫画ミュージアム初代名誉館長。